マームと誰かさん その2 飴屋法水さん

記憶が失われつつあるけど忘れたくないので忘れてないぶんだけ、マームと誰かさんその2飴屋法水さんのこと。


SNACについたら会場の扉が全開で、壊れた車が外へ飛び出してた。蚊取り線香の匂い。サンプラーからループされる蝉の声。ベンチに座って談話してるマームの面々が、いかにも夕涼みのように見える。9か月ぐらいの赤ちゃんが不器用に抱っこされて通り過ぎる。近所の子かな、と思う。19時。オープンと同時に飴屋さんがホースで水撒きを始める。受付をしながら会場をのぞくとぼろぼろに粉砕された車のフロントガラスが何枚も重なっている。今日のSNACはイレギュラーで、通常は舞台となる場所に椅子が用意されていてどこが正面なのかわからない。外の景色が見える場所を選ぶ。スタートは20時。おっきなペロペロキャンディをなめながら、会場を出たり入ったりしてる飴屋法水さんのお子さんくるみちゃんのこと、次々に入場してくる著名人のこと、準備運動を始める飴屋さんのこと、ナイキの飴屋さんの靴、を、ぼんやりと眺めて過ごす。飴屋さんがチョークでリンゴやアリを描く。そして外へ出ていく。しばらく経ってくるみちゃんがチョークで落書きを始める。リンゴ。描きながら、ペロペロキャンディをなめながら、次第に壊れたフロントガラスへと近づいていく。小さな声で「くんちゃん、くんちゃん」と、飴屋さんが言っていた。危ないからガラスに近づいてはいけない、と。


声を発したのは飴屋さん。「きのうな、木の上でな、蝉が鳴いてるのをみたと娘が言うとった」「でもこの娘はな、きのうより昔のことをぜんぶ“きのう”というから、それが本当にきのうのことなのかはわからない」。左のほうからペロペロキャンディを齧る音が聞こえる。右隣の男性が迷惑そうにそっちをみる。zAkさんの膝に抱かれたくるみちゃんが、どこを見るでもなく口を動かしている。ニョキッと、壊れた車の運転席から青柳さんが飛び出す。「えーーーーっとぉ、、」「そろそろ演劇はじめまーす」


自殺願望のあるこの女が語り始めるのは、いま、目の前で起きた出来事。1秒目で空を飛んで、2秒目で地面に叩きつけられて、3秒目で死んだ、男の話。自殺願望のあるこの女が、生理になった朝、死を決意し歩道橋から飛び降りようとしたそのとき、目撃した死の話。「死んだのは、この男でーす」 それまでサンプラーをいじってた飴屋さんが、ポケットから財布を取出し中身をバラ撒いて椅子ごと倒れ込む。レシートから小銭からぜんぶバラ撒いて、木端微塵のフロントガラスに重なった新しいフロントガラスの上に、椅子ごと倒れ込む。受け身も取らず、何度も繰り返す。あのぼろぼろに粉砕されたフロントガラスは、この3日間計6回の上演で、飴屋さんの肉体を受け止めてきた痕なのだと知る。


「1秒目で空を飛んで、2秒目で地面に叩きつけられて、3秒目で、死にましたー」


青柳さんがリフレインする。会場の外では当日券で入りきらなかった多くのひとが、その様子を眺めている。そこを通るひとびとが、何事かと足を留める。その向こうを、出演者が何度も往来する。眺めているひと、通り過ぎるひと、留まるひと、出演者、あらゆる人種が入り乱れてもはやどこまでが本当かわからない。光に照らされた外の世界が、まるで、全部つくりものに思えてくる。青柳さんが繰り返す。「1秒目で空を飛んで、2秒目で地面に叩きつけられて、3秒目で、死にましたー」1、2、3。1、2、3。1、2、3、の4拍子でリフレインする。


マームとジプシーにしては声の通らない、動きの重たい、2人組のOL役があらわれてその時のことを話す。昼休みのランチに行く途中だった。「ハンバーグなんてどう?」「あそこのハンバーグ、好きじゃないのよねー」。片方の女性は、相手を嫌いだと思っている。片方の女性は、相手を好きだと思っている。平和な日常の昼下がり。飛び出した暴走車に男ははねられた。1秒目で空を飛んで、2秒目で地面に叩きつけられて、3秒目で、死んだ。「え、まじで?」彼女の第一声はそれだった。やっぱりわたしは、彼女のことを好きではない。非日常の出来事、意識をつなぎとめるのはそのこと。道路の向かい側ではこどもたちが歩いていた。もし、車が突っ込んだのがあちら側だったら?と、わたしは思ってしまう。「と、わたしは思ってしまう」の意味を咀嚼できずにいると、会場の外をワゴン車が通る。前を徐行運転して、止まる。ドアが開く。なかから天使たちがあらわれてレクイエムを捧げる。なぜ、彼は死んだのでしょーか。わたしには、知る由もありません。なぜなら、彼は他人だから、です。


ママチャリで外を何度も疾走していた飴屋さんが、ママチャリを引いたまま中へ戻ってくる。自転車を止める。あたりに散らばったレシートをひとつ拾って眺め、入り口から紙袋を持ち出してくる。シートに乗せる。スタンドが立ったままの自転車で全力疾走し、そのまま横殴りに倒れる。紙袋からはリンゴが飛び出す。自転車を立てると、もう一度同じ動作を繰り返す。レシートを拾う、眺める、持ち出す、乗せる、走る、勢いよく倒れる。足元にリンゴが転がってくる。「この席はものが飛んでくることもありますが、危険ではありませんので」と、開演前に召田さんから案内された。飛んできたのは、男とリンゴ。飴屋さんは何度も繰り返す。コンクリートの地面に叩きつけられている。目を上げると青柳さんが、壊れた車の上で次々と涙を落としていた。気づけばそこここで、すすり泣く声がしている。



※写真はzAkさんInstagramからお借りしました。


「1秒目で空を飛んで、2秒目で地面に叩きつけられて、3秒目で、死にましたー」


この物語は、自殺願望のある女が目撃した3秒間の話。その3秒間を、今目の前で、飴屋さんが体現している。持ち出すリンゴがなくなったら、転がったリンゴをかき集めてシートに詰め込んでは、無抵抗に倒れている。無防備に打ち付けられている。壊れたみたいに何度も叩きつけられてる。飴屋さんは、本当に骨が砕けて壊れちゃうんじゃないか。肉体の脆さをさらけだして、3秒の断末魔を、何度も何度も繰り返す。レクイエムを終えた天使たちの白い衣装がスクリーンになって、走馬灯を描き出す。くるみちゃんのはしゃぐ姿が映し出されている。当のくるみちゃんはzAkさんの膝の上で眠っている。目の前で飴屋さんが、コンクリートに身体を叩きつけている。目の前でお父さんが、暴走車に跳ね飛ばされている。痛くて怖い。正視するのがつらい。なぜ彼は、


ふと。飴屋さんが目の前のリンゴに手を伸ばし、勢いよくかぶりついた。リンゴの匂いがむあっと広がる。そして転がったリンゴをかき集めてシートに詰め込んで、走り出してはコンクリートに打ち付けられる。リンゴが四方に転がる。ふたたび飴屋さんがリンゴに手を伸ばし、勢いよくかぶりついた。必死の形相で、リンゴを口にする。そして死を繰り返す。死ぬのに。彼はリンゴを口にする。


この物語が、自殺願望のある女の目撃した3秒間の話であるなら、わたしは、自分が目撃したこの3秒間のことだけを、ここに書きたい。この3秒間のために、この2884文字を書いてきたといっても過言でない。必死の形相でリンゴにかじりつく飴屋さんを見て、わたしは、人が死ぬ瞬間の、生への執着を見せつけられた気がするのだ。脆い肉体をさらけだして、たった3秒で死んだ男は、決して肉体の脆さなど受け入れていなかった。見苦しく生命に執着して、生に爪を立てて、必死にしがみついていた。わずか3秒。命が消える瞬間まで彼は、死に物狂いの形相で抗って、無様に生き続けた。甘酸っぱいリンゴのにおいは、むせ返る生命のにおい。生きる、生きる、生きる、3秒の断末魔が体に流れてくる。その本能を、その尊さを、心が裂かれるような思いでただただわたしは眺めていた。死の恐ろしさを。死のむごたらしさを。


マームとジプシーの作品はいつも「生」と「死」が横たわっていて、肉体を追い詰めて追い詰めて、役者さんを極限状態に晒してむき出しにすることで、表現と向き合っているように思う。そんなマームとジプシーをめぐる物語に、飴屋法水さんが真摯に共鳴し、自らの肉体で応えた。ふたつの才能が破裂して新たなドアをこじ開けた、そんなふうに思える作品だった。公演中、遠くから赤ちゃんが泣く声がしていた。あれはなんだったんだろう。近所の子なのか、サンプラーなのか、または幻聴か。でも、少なくともわたしのなかで、命が消える瞬間も、命が鳴っていたのだ。


飴屋さんは「空を見に行きましょう」とか「外へ行きましょう」とか、口にして、外へ飛び出して、道路に停まっていた車のボンネットにぽーんと飛び乗った。最後に藤田くんがエンジンをかけて音楽を流した。自殺願望のある女は、もう死ぬことをやめ歩道橋を降りていた。



観れて、本当によかった作品です。次はのマームと誰かさん③は今日マチ子さんだ〜!