神聖かまってちゃん「楽しいね」のこと

楽しいね

楽しいね


これ、神聖かまってちゃんの最高傑作なんじゃ………と、わなわなと震え上がる名盤。前作「夕暮れメモライザ」や「映画」の路線をさらに推し進めたの子さんのソングライターとしての無敵っぷりがバシバシ発揮されてて心の奥の秘密の小部屋が刺激されまくります。かつ、アレンジ面での唯一無比さ。の子さんご本人がナタリーのインタビュー

俺は自分の音楽は基本的にアンビエントロックだと思ってるので。


とおっしゃっていますが、シンセやエフェクトやらで音を弾幕のごとく立ち昇らせ狂気と美と聖をごちゃ混ぜて表現する独特のかまってちゃんサウンドは、サポートメンバーのまきおさんやバイオリンの柴さんを迎えて、さらに繊細に、かつ雄大に鳴り響き、立体的な音の暴雨に投げ込まれて、びちゃびちゃと当たる音の血を浴びてるかのよう。特に「コンクリートの向こう側」〜「ベルセウスの空」の流れはこの作品のなかでも神聖すぎて、このまま音に取り込まれて二度と出てこれないんじゃないかと思うほど。遠くて鳴るバイオリンの音が、ただただ自分をこの世につなぎとめる旋律か、のような気持ちになります。


なによりも、前作のボーナストラックである「26歳の夏休み」で



26才の夏休み
僕は欠片をただ拾い集めてる
なんだか僕は感受性ってやつが薄れている



と歌っていたの子さんが、まだ、こんなにも歌う必然であふれていることに感動を覚える。正直にいうと、アルバム制作期間に入る前のかまってちゃんのライブはほとんど「いい!」と思えるものがなく、「えー…こんなもんじゃねえだろかまってちゃん…」と思うことのほうが多かったし、メンバーもプライベート含めしんどそうな噂もありつつで、の子さん煮詰まってるのかなーとか思ってた。実際に朝日新聞デジタルのインタビューで、の子さんは「仲間を探したい」は、解散を考えていた時期に作った曲だと明かしていた。


の子は「『仲間を探したい』は、別れと出発がテーマ。バンドを解散して新しいことをやりたい、という夢を歌った」と明かす。

 え、解散?

「ライブでも何でも、ハードルを越えられないとファンに申し訳ない。俺が真面目になり過ぎちゃって、解散を考えていた時期につくった曲です」


でもさ、この曲にはこういうくだりがあるんですよ。



君とこうやって遊べるのは何時頃までかなあ
あの夏休みは近いと子供が歌ってるよ
君とこうやってブランコ2人きりの風景とかさ
あの夏休みが終わっても
続くのかなあ



「解散を考えている」と言いながら、いつまでこの時間が続くのだろうかと、の子さんは憂いているのだ。いつ終わるかわからないこの時間が、つまり神聖かまってちゃんというバンドが、いつまでも続けばいいなあと、の子さんは願っているのだ。だから、同じくナタリーのインタビューでこれを読んだときは、ほんと泣きそうなぐらいうれしかったよ。

でも本当は俺が一番このバンドを解散させたくないんですよ。どのメンバーよりも思ってますよ。神聖かまってちゃんは俺の人生なんで。なんていうか、もっともっと……俺はこのバンドを続けていきたい。このもっと先の未来も、ずっとずっと。


かつて、あれは忘れもしない原宿アストロホールのライブにて、例え1年後に神聖かまってちゃんのブームが去ってここにいるひとたち全員いなくなってもわたしはわたしだけはこのバンドを愛していこう!!!と勝手に心に決めたことがあったのですが(なぜだか不明。悪いライブじゃなかったけど特別いいライブでもなかった)、あれから2年経っても彼らはまだ、こんなにも素晴らしい作品をわれわれに届けてくれているというのは本当に幸せだなあ。


実はこれちばぎんが考えたんすよ。俺は最初のタイトルは「お薬ください」にしてた。


という「楽しいね」は、実際「楽しいね」というタイトルより「お薬ください」のほうがしっくりくるように思える。の子さんの、まったくコントロールの効かない躁鬱の激しい精神性がまんま曲にあらわれてるから。「友達なんていらない死ね」と言いながら「えっまじ!? そんなセリフが言えたとき お友達ってやつがいるのかな」と、発狂しそうなほどの「えっまーじ!!!?!???」を絶唱するの子さんからはお友達がいる風景への憧れしか感じないし(だからの子はライブ中お客さんに対して言葉遣いがむちゃくちゃ悪いんだなぁ、などと妄想)、「鳥みたくあるいてこっ」のあとアルバムのラスト「花ちゃんはリスかっ!」で「花ちゃんこいつらは全員敵だからーーーーーー!!!!!」と断末魔のごとく叫ぶのも、お客さん含め周りの人間に対する痛いほどのの子さんの本心だろうし、このアルバムを聴いてつくづく思うのは、こんなふうにパッパッと躁鬱に心を掬われたら本当にきついだろうなぁと。それでも、音楽に立ち向かって、その都度の自分を曲に封じ込めるから、こそ、やっぱり神聖かまってちゃんの音楽が存在する意義があるし、の子さんが歌う必然があるんだと思う。たとえば「ロックンロールは鳴り止まないっ」とか「夕方のピアノ」とか、そういう曲が好きでかまってちゃんを好きだったなら、すこし退屈かもしれないけど、ここには、27歳のの子だから作れる、歌える、歌が息をしてる。苦しんで、血が滲んだあとがみえるほどに、の子さんの人生そのものが刻まれている。

飛来したての鳥がいる
後戻りもできるけれど
朝が来たら僕のストーリーを
えんぴつで描いてこう
由来のない名前です
本当にこれが俺になれる名前なのか
僕のストーリーを
えんぴつで描いてこう


あっちに飛んでく鳥を追いかけてく
無理しないように僕は本当に気をつけようぜ
2ページ目があるよストーリーは
僕が行くか行かないのかってだけで
正解と未来と目の前の事実
観察してるだけのおいてけぼりじゃ
君ってやつがいるストーリーに僕はとても会えないぜ


「鳥みたいにあるいてこっ」


つまり、「の子」と自分で自分を名づけて、新しく生まれ直したのだ、彼は。いじめっこからも、ひきこもりからも、欝からも、さまざまな苦しみから解き放たれるために、自分で名前をつけて、自分でストーリーを描いて、人生をはじめ直したのだ。そしていま、2ページ目へ進もうとしている。ほかでもない「君」に出会うために。あー、だから、歌う必然がある歌をうたうひとの作品が、悪いわけがないのです。もちろん好き嫌いはあれど、神聖かまってちゃん「楽しいね」は傑作!だからお願いシングル&アルバム購入特典当たってーーー!!!!