言祝く、このよき日を、今日を迎えたことを

あけましておめでとうございます!
どうしても2011年中に2011年の日記を書きたかったのに無理でした。今年はもっと時間を有効に使い計画的に、そして文章をもっとパッパと書けるよう訓練したいと思います。もう平日にパソコンのとこで力尽きて朝を迎えるのはイヤだ!OL業に対してなんの思い入れもありませんが、OL業に差し支えるほど書くべきではない、という自戒を改めて肝に銘じます。


表題、2011年を終わらすべく自分の意思で最後に聴いた音楽。土井玄臣さん『それでも春を待っている』より「言祝」。土井さんのこの作品について、ちゃんと言葉にしたいと思っていて何度かチャレンジしては挫折しています。わたしの言葉じゃとても追いつかない。「火の鳥」のような作品だなぁと思っています。「それでも春を待っている」それこそが“アラベスク”。近々きちんと向き合いたい。


2011年はヒコさんの影響で演劇をちょいちょい観てその表現の速度に衝撃を受けたりしていたんですが、ようやく、演劇界に新風を起こし以降の劇団に多大な影響を与えたと言われているチェルフィッチュ「三月の5日間」を観ました。その前に“「三月の5日間」以降”てテーマの座談会を見ましたが、こちらは直接内容には関係なく。しかしそれぞれの劇団の個性を知るにはうってつけで、個人的には超絶おもしろかったです。緊張で?ブルブル震えながらも生意気に切り込んでいくマームの藤田くん、しどろもどろでつたない言葉を紡いでるうち次第に興奮して声も言葉も無礼になってくロロの三浦くん、本番同様にポイントをメモって的確に質問に答えるバナ学の二階堂さん、とにかく好きな劇団のひとたちはみんな興味深い態度で挑んでいらして、より好きになりました。


で、「三月の5日間」。その名の通り、イラク戦争が始まった2003年3月20日からの5日間、を、過ごした、若者たちの話。クラブ(SPDX?)で出会ってそのままラブホテルに行って5日間、コンドーム2ダースちょっと分のセックスをしまくる男女とか、映画館で出会った電波系腐女子にいきなり好意を寄せられる男とか、戦争反対のサウンドデモに参加する男たちとか、それぞれの5日間の断片を、当事者でない誰かが説明をする。話をしているその誰かは常に入れ替わってて結局誰の話を聞いてるのか、どの話の続きだったか、ときどき本人たちの会話の再現があったりとか、つまり、物語の最初から最後までを説明する劇でなくて、本当にとりとめのない友達の友達の話をファミレスで又聞きしてるような、そんな感じ。そこに、自然と加わってくるジェスチャー(癖)を過大解釈してわざとらしくとってつけた感じ。


正直、演劇の歴史とかぜんぜん詳しくないしずっとよくわかんなくって、初演のリアルタイムで観てたらもっと空気感を掴めたかもしれませんが、8年も経ったらもはや「若者のリアル」とか言いづらいでしょうし、しかも2003年のイラク戦争より圧倒的にリアルな戦争が2011年3月11日以降の日本に起きてしまっているので、なおさらわかんなくって。ですが、最初に思ったのは「ハレとケの増長」ということ。もちろん戦争のことを「ハレ」というのはおかしいのでもうちょっと違う言い方をすると、わたしにとって「三月の5日間」は、“自分の実存を、誰が証明できる?”ってことに尽きます。いつもと違うふうに見える渋谷の街で、自分のことをまったく知らない連絡先すら交換してない男とバイトをブッチしてセックスし続ける自分の存在の透明度、ハンドルネーム:ミッフィーちゃんの浅はかな恋愛や、デモの最後尾にただついていく戦争反対の姿勢、どれもこれもそこに自分が存在しているのにしていない、誰かに「君はいなかった」と言われたら「そうかもしれない」と自分ですら思い込んでしまうような不確かさ、そこにぶつかってくる戦争というのっぴきならない事象のコントラスト。加えて、入れ替わり立ち代わりでそれを話し続ける友達たちの、この世のものとは思えない無茶な体の動き。人間の肉体の脆さというか、結局、自分という人間が誰であろうと誰にも証明できない恐ろしさと解放感を感じました。戦争も、もちろん震災も、津波も、肉体を滅ぼして無に還してしまう。で、それは常に平凡な日々との隣合わせであって。または、すでに自分はこの世のものでないかもしれない。というか、どうしていま生きている場所をこの世だと証明できようか。非常に観念的ですすみません。最後の最後で女が吐いたのは、いつもの渋谷の街で肉体が精神に追いついてしまった気持ち悪さだったんじゃないかなと。で、それをつなげたのは匂い。ホームレスの大便の強烈な悪臭だったんじゃないかなと。夢でも空想でも犬でもなくて、それは人間で、ひたすら現実なんだ、と。それを思い知らされた恐怖がもたらした肉体の変化だったのでは?と。


でもって、さらにいうと、“「三月の5日間」以降”てのがあるんだとしたら、その「ひたすら現実なんだ」の続きをいま、みんな表現してくれてるんじゃないかなぁ。例えばマームとジプシーは「これでもか!」とばかりに肉体を酷使して生きるということを、ままごとは動きの反復で輪廻の秘密を、バナ学はおはぎライブしか見たことないですが、あれも数十分のステージ/劇中で一生の走馬灯を見せてくれてるようだし。とかとか、超勝手な素人の意見です。2011年に見てそういうふうに思いました。


2011年のベストソング!

スマイレージ「ショートカット」

℃-ute世界一HAPPYな女の子」も好きだし「プリーズミニスカポストウーマン!」のストリングスにも泣きましたが、2011年NO.1のつんく神曲といったらこれ!堂々たる正当派アイドルポップ!c/wの「パン屋さんのアルバイト」も名曲です。てか「プリーズミニスカ〜」のプロトタイプが「パン屋さんのアルバイト」って気がする。特に♪俯いたままで固まるしかない私〜これって恋かも〜、のとこね。手癖なだけですか。しかしこの後の「恋にBooing ブー!」はほんとにガッカリだったなぁ。


さくら学院「FRIENDS」

※バックで流れている音楽をお楽しみください。
さくら学院オープンキャンパス公開講座のみで発売された限定500円シングル。これも正統派アイドルポップ。さ学の曲は「ベリシュビッッ」を始め別ユニットのBABYMETAL「ド・キ・ド・キ☆モーニング」、Twinklestars「プリーズ!プリーズ!プリーズ!」も大好きですが、この曲は群を抜いてすごい。小学5年生から中学3年生まで12人のメンバーが所属している必然性を余さず発揮していて、少女たちのまぶしい一瞬を切り取っている。

余談ですがマームとジプシーやままごとをみていて「男性が表現する女性」にちょっと違和感があるんだけど、それがなぜかっていうのは、最近さ学をみててわかった気がします。男性が表現する女性の意地悪さって良識があるんですよねぇ。もっとナチュラルに残酷ですよ女性って。


私立恵比寿中学「もっと走れっ!!」

PVの完成度、曲のおもしろさ、聴いた回数などを考えると「オーマイゴースト」なんですけど、思い入れからゆうとこっち。エビ中の所信表明であって、o-eastのワンマンとリンクして、必死でがんばってるエビ中メンバーの絵が思い浮かんでくる。で、自分もがんばろうっていっぱい思いました。れいにゃんがやめるって知って悲しくて辛くてしばらくエビ中を聴けなかったんだけど、改めてれいにゃんのこと応援しようって思えたのもこの曲を聴いたから。10人のマイクリレーも素晴らしく、2011年の10月の10人の私立恵比寿中学だからこそ歌えた歌だと思います。


佐々木彩夏「だってあーりんなんだもーん☆」

あーりん最強!


ベストライブは4/23神聖かまってちゃん@渋谷クアトロと10/23うつくしきひかり@老人ホーム、そして12/25cero@WWWです。あと3/13の深夜に昆虫の高橋くん、シャムキャッツ夏目くん、王舟くんらが高円寺の路上で歌ってたUstは忘れられません。これらのライブをみたあと、3/11以降に鳴る音楽について、つまり単純に音楽が鳴ってることの喜びについて、改めて噛み締めました。特にceroはね、3/11以降の重苦しさをふわっと軽くする音の強度。1部で「21世紀の日照りの都に雨が降る」とか「武蔵野クルーズエキゾチカ」とか楽しげな曲を持ってきて、途中でサンタスって片想いやザ・なつやすみバンドのメンバー(みずきちゃんサンタ可愛すぎ!)と一緒にクリスマスソングを歌い倒してまさに「お祭り騒ぎ」をかましたあとに、第2部後半で「大停電の夜に」〜「マクベス」〜「サン」を演奏する凄味。でもアンコールの最後の最後で「good life」を演奏する意思。ほんと2部後半は演奏と演出の素晴らしさにただただ感動していました。「大停電の夜に」ですべての照明が消えて真っ暗ななかで鳴っていた音楽(オザケン!)、「マクベス」で渋谷の街を映していた映像がいつの間にか会場とシンクロしていくさま、そして「(I found it)Back Beard」でお客さんの歌声が響くなか船が岸を出る映像は、まるでわたしたちの新しい出発を祝うようだったし、これはわたしの勝手な解釈に過ぎないけど、この日ceroが演奏した音楽は、紛れもなく3/11以降の日本に住む私たちのための音楽だったと思う。“日本”が限定的だったら“地球”って解釈でもいい。“音楽の絆”とか“音楽の力を信じよう”とかが言いたいんじゃなくって、まして“反原発”とか言いたいんじゃなくって、もっとニュートラルに、彼らが音楽を鳴らす意思、てゆうのを強く感じたんですよね。自分たちのやり方で、自分たちにできる方法で、思想や政治に巻き込まれずに音楽を鳴らそうという意思を。

誰かの 暮らしぶりを聞いて
僕も とりあえず 晩ごはんくらい
自分でやってみたのだ


夕暮れ時 タワーレコードのベンチに座って
話を 積もり積もる話を
しまくっていたら


喉が枯れちゃったよ


なかなか良い日だったよ
それだけで良い日だったよ


cero「good life」


3/11以降、生活や意識に変化が出てくるのは当然だし、何かを口にするとき、何かを表現するとき、それを切り離して考えることは難しいことかもしれないんだけど、でもやっぱり強要されるのは本当にきつい。もちろん3/11以降でわかったこともたくさんあるけど、こちとらそれ以前から原発のことも政治のことも、自分なりに考えてきたつもりだし、これからも自分のやり方でコミットしていきます。たぶんデモにはいかない。力を持った音楽が聴きたいんじゃなくって、音楽が聴きたい。ceroの演奏は、そういう自分の気持ちに心地よく響いてくれて、ありきたりだけど、救われた気持ちになりました。好きなひとと、「なかなか良い日だったよ」と言える日々を、2012年も生きてゆきたいです。