おそらくネタバレないです(モテキ)

満員御礼の館内で、始まって10分でもう出たい見たくないここにはいたくないと絶望的な気持ちになった「モテキ」ですが、これは同属嫌悪ってやつですか。とはいえ、わたくし自分で自分のことをサブカルチャーだと思ったことはないですし、自分の好きなものをサブカルチャーだとカテゴライズしたこともないです。が、でも、例えばEXILEが好きだと言われた途端に恋愛対象から外れる感じとか、夏は海!冬は雪山!といった生活圏を持ち合わせていないとか、合コンに行ったことがないとか、そうゆうメンタリティがいわゆる「主流」から外れていて、かつその「主流」にどうも違和感があるので自分にしっくりくる音楽聴いたりマンガ読んだり映画みたりする、とゆうのが「サブカルチャー」だとするのであれば、確かにわたしはサブカルチャーな人かもしれぬ。


ただ、やっぱりこの映画で「サブカルチャーってこういうものかー」ってカテゴライズされることには強烈に違和感があります。いや違うかな。自分の好きなものがああいう扱い方をされることに嫌悪感があると言った方が正しいのかもしれない。わたしあんなふうに映画もマンガも本も詳しくないし、音楽も好きだけで聴いてきてるような分際だけど、だけど、好きなものを愛しています。おそらく大根監督も然りでしょうが、かまってちゃんにしてもダニエルジョンストンにしても根本敬にしても、きっとご本人が好きで好きで好きでたまらないものを惜しみなく登場させてるんでしょうが、それはすごくわかるんですが、でも、共感できない。ももクロ「走れ!」におけるアイドルポップの解釈ひとつにしても違和感があった。なんか、LOVEな目線を感じないというか、うすら寒いおしゃれさがあるんだもん。エクスキューズといっていいですか。心の交流よりも、そういうギミックばっか目についてしまったのが最大の違和感なんだと思う。


そもそもさあ、職業的にナタリーに近いと言える元音楽雑誌の編集者であり、あえてこう言いますが、文化系/サブカル女側の目線で言わせていただくと、ないよ、あんな恋愛。長澤まさみ麻生久美子も好きにならないよ、未來くんのこと。一緒に見たひとに「これは“モテキ”とゆうファンタジーなんだからその部分は目をつぶりなさい」と言われましたが、でも、あえて、あえて言わせてもらうと、全体的に女性の気持ちの扱い方が軽くて雑で、まったく共感できませんでした。だって30歳超えた女があんな簡単に自分の恋愛感情を肯定できると思うか?ましてやその気持ちを相手にぶつけられると思うか?「それが愛ってもんだ!」て言えるのは20代までです。そしてなぜ長澤まさみが未來くんを好きにならないか、これはとてもとても、ワールドワイドウェブで公表できるようなお話ではないので、個人的にぜひ…。まぁ要するに、女は女であるってことだ。わたしの中の男が「うおぉおぉ長澤まさみ超絶かわえええええ!!!!」と震えるのですが、わたしの中の女が「うわー、いるいる、こういう女!!!!」と悶えるのです。あれはほんと、男性にとっては希望の象徴でしょうが、女性にとっては憎悪の象徴なのであります。


そう思うと「東京公園」の榮倉奈々の可愛さは圧倒的だなぁ。オタクだし。あの美脚をもってしても、榮倉奈々に、長澤まさみは勝てない。つまり青山真治監督の映画愛に、大根仁監督のサブカル愛は勝てない。まあ勝ち負けの問題じゃないと思いますが、信用はできないなあって感じです。だって、やっぱり愛を感じたい。ギミックじゃなくて。ちゃんと心がかよっているさまを。心が育まれていくさまを。サブカルって共通項だけで簡単に愛が手に入ると思ったら大間違いだよ。カルチャーという橋渡しが恋愛に有効だとは限らない。もちろん有効な場合もありますが。しかし、パフュームのダンスシーンは最高だったんだけどなー。なんであんなに「好き」の扱いが簡単になっちゃうんだろう。悲しい。


といいつつ、大根監督にしてみたらこういう意見が出ることは折込済みでしょうね。その上で「モテキ」を大衆映画として成功させようと試みたんだろうなあと思います。し、それは成功してると言って過言でない。単純に楽しめるし森山未來の身体能力は素晴らしいしダンスシーンは最高だし長澤まさみ超エロいしチャーミングだし麻生久美子の演技は圧巻だし仲里依紗くっそ可愛いし一見の価値はあると思います(全力でフォロー!)。