土井玄臣さんは関西弁でおもしろい話ばっかしてたくさんひとを笑わせてたけど、時折、とてつもなく哀しい目をするひとだった。


ライブもまさにそんなイメージ。マイクを通して咳払いをして会場がクスクスざわざわしてる空間を、打ち込みのトラックと声で切り拓く。「何でそんな曲やるの?って言われそうな曲を1 曲目にやろうと思います」それは彼の持つ美しい声・美しい旋律のポップソングからは想像しなかった、しわがれた声の絶唱。「ブルースだ」と思った。思っていた以上に泥臭くて底知れぬ哀しさが纏う、そうか彼の歌は大阪の歌なんだ、と思った。「大阪から来た土井と申します。大阪の歌をうたいます」と間髪入れずにアルバムのなかでもポップ色の強い「Phantom Light」を演奏、【あたしの日々は続くのアンタと違うの/生きていくのねぇダーリン、アンタと違うの】そう言いながらこの世界の「あたし」は死んでしまうんですね、という話をライブ前にした。「でも僕にとってそれは希望でもあるんです」と彼が答えた。


土井玄臣さんの音楽は、一聴すると、耳馴染みのいいポップソング。言葉の音/リズムとメロディの流れが心地よく転がって、思わず歌いだしたくなる景色を目の前に広げる。優しさ、慈しみ、愛おしさ、あらゆるものごとに向けられる慈愛の目線がやわらかく降りて、歌の高揚感や多幸感に昇華される。同時に、ゾッとするような孤独が、悲哀が、アルバム全体に広がっている。


「これはフィリピンから来た臣子という女性を思って作った曲です」といい「海へ」。「フィリピンの女性だからちょっとカタコトなんですね」と言うように、感嘆詞を多用したこの曲は言語の音階があいまいで、まさに言葉あそびの真髄といえる。フィリピンの女性、カタコト、そんな説明が妙に腑に落ちて、歌のなかの寂しげな声が心に響いた。続けて、アルバムのなかで生きる女性を歌ったと思しき「ハルカ」、客席から拍手が沸く。【ハルカは上手く笑う事が出来ない/笑顔を作るのがとてもヘタクソ】とまで口にして「ふふっ」と笑い出す。「ちょっとすみません、あれ?」と言いながら歌をつぶやく。歌詞を忘れた歌い手の姿に、会場がほころぶ。それも一瞬のこと、彼はすばやくハルカに成り変わり言葉を放つ。うまく笑うことができない哀しい女の、可笑しな愛を紡ぐ。表情も、所作も、まるでハルカだった。妖艶だった。そして「ものすごく慕ってた兄貴が実は苛められっ子だったことがわかった、という曲です」と言って会場を笑わせて「Blue Blue Blue Blue」、歌詞も演奏もぐだぐだになって「あれ、ちょっとチューニングしていいですか?」と途中で演奏を止め「かなしい〜」とつぶやきながらコードを確認する。その合間に少年時代のエピソードを披露して客席を笑いで包むサービス精神。ちびちびとお酒を飲みつつ演奏を再開し歌い終えると、自身が「自分の音楽の核と言える」という「尼崎の女」へ。


ライブ前のインタビューで土井さんは、それほど東京を知らないのにこんなこと言うのも、と言いながら「東京は哀しさが個人のものに思える。大阪はコミュニティ全体が哀しいんです」と言った。大阪の街を覆う哀しみ、それはわたしには体感できないけど、土井さんの音楽にある優しいひとの哀しみは痛いほどわかる。哀しいひとの優しさが、いびつな愛に呑まれていく純粋さはくるおしいほどわかる。


【びっこの町が火照りだす/あたしは尼崎の女】と歌う。彼の歌に潜む深い深い哀しみを凝縮した、呪詛のような音が大阪弁で吐き出される。彼にハルカが憑依する。悲痛な絶叫が響く。おそらく、会場の全員が心を掴まれた瞬間。彼の音楽の、土井玄臣の核心を曝け出した瞬間。下北が大阪を映した瞬間。強烈な名演だった。すっかり会場が呆気にとられているなか、「最後の曲です」と言って弾きはじめたのは「朝謡」。アルバムの終わりの希望のような、光に満ちた曲。「何万何千年たっても仏様がいまだに僕らを救ってくれないように、僕は君の味方だよ、という曲です。あいつらなんっの役にも立たんけど、それと同じように僕は君が好きだよ、という曲です」


わたしはずーっと考えてた。土井玄臣というひとの音楽にある諦観を。フレンドリーでありながらの徹底した拒絶を。このときに、ほんのちょっとだけ、その理由がわかったような気になった。このひとの物語は、瓶詰めのなかで息づいてる。どんなに苦しくても救われなくても誰の手も届かないところで、ずっと続いてく。だって、それが生きてくってことでしょ。そんなにいいことなんてないでしょ。それでもじたばたしながら生きてく人間の姿を、愛しいと、土井さんは思ってるのかなあ、とか思った。違うかもしれないけど。でも、最後の演奏に「朝謡」をもってきたのは、わずかながらの土井さんの祈りのような、そんな気もしている。【あの娘通る度 祝福しよう/唱えば声は光になる様に】メロディからギターのさざめきから発する言葉・音ぜんぶから喜びがあふれてくるようなこの曲の、最後の最後で彼はこう歌った。【唱えば声は君の光になるように】。


“音楽の力を信じよう”なんて胡散臭い希望じゃなくって、“自分には音楽しかできない”みたいなおごった責任感でもなくって、いつかかならず音楽が鳴り止むことを痛感しているひとの、小さな小さな「君が好きだよ」という祈り。大半は絶望かもしれないけど、一生報われないかもしれないけど、そこで生まれた気持ちにわずかな希望を見出して痛みと共存する音楽。土井さんの優しさも、人懐っこさも、哀しさも、諦めも、ぜんぶそのなかで鳴ってるのだと思う。


6月4日(土)下北沢THREEでのライブに寄せて。


土井玄臣「朝謡」


土井玄臣さんの1stアルバム『んんん』は土井さんに「ほしいです!」とメールをすれば無料で送ってもらえます。無料の音源といえど、webにアップして好き勝手ダウンロードしてね、じゃなくて、CDRだけどきちんとアルバムとして完成させてジャケットも作って、ほしい人が「ほしい」と言ってメールを送る手間、土井さんが受けて包装して送る手間、そんなふうに時間をかけて作り手から聞き手に届く、その距離感がとても誠実で好きです。すばらしいと思います。こちらからどうぞ。


あー、しかしライブレポートを寝かすとろくでもないな。お蔵入りにしたくなってしまう。