そんなことばっか言ってる意固地な自分が嫌い

きょう会社で某学会の悪口ゆいそうになったらなかよしの男子に全力で止められた。


「僕は以前つとめてた会社に学会員のかたもいたし統一教会のひともいました!宗教の話は本当に気をつけてください!本当に危ないですから!!」


て。だって本屋に行ったら「池田大作名言100選」ってのが売っててさあ、これが全世界の多くの人間を盲目にさせる男の言葉が詰まった本かあ、よほどすげえんだろうなあと思って立ち読んでみたわけですよ。そしたらひたすら凡庸な内容で逆にビビッたてゆうか、ボクのハートのナチュラルには1mmも届かなかった。気ままに暮らすボクらを責めないで!そしたら事務のお母さんにも「うん、宗教はね、意外に信仰してる人が多いから悪口言っちゃダメ!」てゆわれたからつい


「そんなもん誰に悪口ゆわれようが自分が信じてるなら堂々としてりゃいいんですよわたしなんて誰が昆虫キッズの悪口ゆおうが昆虫キッズのことは大好きだと胸を張ってゆえますよ!!!!!!!!!!!!」


とか会社で大きな声でゆってしまっていまは反省しています33歳OL。つうかね音楽って宗教と近しいものがあると自分でもおもってるけどまあ別物だよね。それを一緒にしちゃいかんよなあ(→俺)。学会員のひとに「月夜の晩だけだと思うなよ」とかゆわれちゃうよな本気で。ごめんなさい。反省していますそれなりに。


むかし某バンドのインタビューで「宗教は戦争を生みますからねえ」て話してたことがあるんだけど、いまはそうは思いません。民族紛争ってことでもないような。これみて思った。



あるひとから聞いた話でずっと覚えてるのは自分が内戦国に平和教育をしに行ってどんなに子供たち語りかけて平和について理解してもらっても、「将来戦争に行きたい人?」て聞くとみんな「行きたい」ってゆうって。で、愕然として理由を聞くと「両親を殺されたから敵をとりたい」とゆうそうで。その人は「もう自分が平和教育を行っても無駄だから政治家になるしかない」とおっしゃってましたが、なんか、そんな子供たちをどうやって責められよう、とか思った当時。民族の垣根とかって本当はとっくに超えてて、戦争は怨恨によってずっと続くのかもとか思ったりします。なんて、日本人だからゆえるような平和ボケ発言。けどそういう意味で日本だからできることってあるよなあとか思ったりもする。


話がぜんぜん違うけど後藤田正晴さんの言葉ですごく好きな言葉ふたつ。リアルです。実際に戦争に行ったひとの言葉の重みたるや。


「陸軍の経理とは、つまり戦争の原価計算を行う事だ。戦闘になればどれだけ弾薬が使われるか、兵士の戦時手当はいくらになるか、兵站の補給にどの程度予算が必要か、さらに食糧はどのような価格で購入するのか…などなどね。台所からその家の経済状態や暮らしむきがわかるように、経理をしていると軍隊の実態や戦争の行く末も窺い知る事ができたよ。」


「戦争は、死ぬも生きるも紙一重。だが、死よりも生に近づく方法がある。確かに同じ場にいて、同じ列に並んでいるのに、助かる者と命を落とす者がいる。それは運命と言っていいだろう。だが、運命論だけでは片付かない面が戦争にはつきまとっている。それはできるだけ多くの情報を集め、それを正確に解析して死の側に組み入れられる確率を少なくする努力をしなければならないということだ。運命論者であり続けるならば、いつか死の側に組み込まれる。」


後藤田さんは死刑反対論者だったんですよね。だから死刑執行を再開したときの苦悩ジレンマってどんなもんだったのだろうなあと思います。本になってるんかなもしかして?


てかきょうの日記なに???なんも考えてないからいつも書き始めるとわけわかんなくなる。ラブプラスわたしもやりたい!


あー、頭がすごくよかったらなあよくなりたいなあとまいにち思ってます。