道の向こうその先へと急ごうカモン!

きょう会社でどうにもナオヒロックのことが気になって気になって気になって……。



いやっふ!
わが青春!
当時はラフォーレ通い詰めたなあ現ドゥーアラット。玄関あけたらコンマでフリースタイルってなことアニがゆってたのでやっぱあれかねフリースタイル応対かね!なんてわくわくしてたがなんてことなく「よかったら住所とか書いてってくださいねー♪」とかゆわれたなぁぽやややーん(←回想)。


−サボってた期間の日記−


◆かまってちゃんのライブ@アストロホール、あまりにもいろんなことを考えた。けど冒頭での子さんが「このバンドはメロディだけなんだよ!」といった趣旨のことを言い放ったこと、最後に「俺なんか帰ったらカチカチカチ(パソコンの音)。で、猫わあって(さわるマネ)、で、カチカチカチ。で、ピアノ弾いて……だけだ。夕暮れになると空しいよな本当に。特にニートだと」というようなことを言ったこと。それが「ギターを弾いて」でなく「ピアノを弾いて」だったこと。そしてそれから2回もアンコールしてくれたこと。に、えらい感動しました。


麓健一さんのライブ@グッドマン。バンドセットでも麓さんの歌は凛とそこに。バラバラに解体しようとも絶対的な存在でそこに。彼の歌を聴いてると懺悔をしてる気分になります。透明を貫く誠意とひきかえの冷徹さを感じるからだと思います。グッドマンに入った途端に麓さんとお会いしたら「あっちまめさん、へへへ。元気?」て言われたんですが、ステージ上の麓さん、MCの第一声が「へへへ。元気?」だった。いずれもへへへは照れ笑い。これもえらい感動してしまった。ちなみに麓さんとはこれ以上の会話をしたことがありません。


◆泊(とまり)のレコ発@円盤。mmmまえにみたときは静といったイメージでしたが、ドラムが加わると声にリズムが帯びるさまがよかった。曲のもつリズムも際立って、ああ彼女の曲はこんなにハネた曲だったのだなあと改めて知りました。
宮崎貴士バンドはさすがベテランの集合体といった感じで力入ってないんだけど完璧に体温が融合すんのが軽々しくてかっこいい。しかし宮崎さんのピアノは本当にすき。「もともと家が楽器屋で、父親が調律師で母親がピアノの先生だった(bounceのインタビューより)」だけに、ピアノへの思い入れって強いのかなあやっぱり。いや、強いとしか思えないピアノへの接し方。一晩中語りたいですこの方のピアノにつきましては。
泊は戦前のラジオ、昭和初期のドーナツ盤から聴こえてくるような笹山鳩さんの歌と武村篤彦さんのギターによるデュオ。この日はコントラバスとフルート/アコーディオンが入った豪華版でとても贅沢でした。やっぱり笹山さんの歌/声ありきでこういう音楽になるのか、こういう音楽がやりたくて歌/声を近づけているのか、どっちなのだろうとふと疑問に思ったので、知り合いでもないのにまたしても終演後に聞いてしまうわたしく。曰く、「自分は楽器ができないから、せめて声だけでもと思って」「やっぱり昭和初期の音楽が好きで、こういうのをやりたかったんです」「仕事中によく鼻歌で歌ってたんですけど……できるんじゃないかと思って」という趣旨のことをおっしゃっていました。楽器ができないから声で勝負するったって、これはこの歌はなかなか歌えたもんじゃないと思います。曲によって歌い方が全然ちがったりされるんですが、自分の声を楽器と思ってやってる部分がある、というようなこともおっしゃってました。「ギター(武村さん)が曲持ってきたら、これはこういうスタイルで歌って、ここでこぶしを入れよう、とかいろいろ解釈します」とか。ああうろ覚え録音しておきたかった。でもなんか、楽器ができないから歌で、ってすごく心意気を感じる。いい話が聞けてうれしいです。



◆このニーネ大塚さんの日記すごくおもしろい。あの日のライブは、ステージ上でなにかが起きてるのはわかったけどそれも含めてかっこいかったから、そのまま突っ走ればいいのに!て勝手に思ってたけどこんなドラマが隠れていたとは。なんか、モーレツにギターを教わってみたいなあと思いました。そのほうがライブみててたのしいだろうなあとゆう判断。楽器を弾いてるひとの気持ちは楽器を弾いてるひとにしかわからない。楽器も弾けないのにあーだこうだゆうなんてね。弾けないから想像できることもたくさんあると思うけど。つまりわたしの思いや文章はこの「想像」だけでできています。


smap中居の番組でみたひとり農業体験?の話。3年目にして青年が腰を痛めて何もできずにいたら、近所の農家の方々が手伝いにきてくれたとゆう回。トマトとかナスは2年目は育ちにくいからさけたほうがいいとかアドバイスもらったり。で思ったんですが、昔は農業があったから家族的なコミュニティて成立したんじゃないかなとゆうこと。だって結局、農業てひとりじゃ絶対に不可能だもん。近所のひとや家族の助け、かつ先人の経験や知恵があってこそ。かつ、それを伝承していく必要があるからコミュニティが必要だったんじゃないかなーと。そう考えると、現代に「コミュニティ復活」てかなりナンセンスだよなあとぼんやり思いました。助け合ったり伝承したりするものがなきゃつながる意味も必要もないし。地域が人を育てるとか、気持ちはわかるけどそれって無理やり作るものでは決してないからなー。必要ないから淘汰されてくんだと思うんだけど、ダメかなそんなふうに思っちゃ。


◆そうとう適当に話してます。


◆東京生まれ東京育ちだけど本籍は宮崎県です。口蹄疫のことは胸を痛めて祈るしか。全身全霊で祈るしか。どうか被害が宮崎県だけでおさまりますように。どうか政府の対応の遅れを宮崎県の全責任として理不尽に押し付けられませんように。