もう一度このことばはやり直せる

まいにちブログ巡回リストにかえる目の細馬宏道さんの日記が入ってて、細馬さんはまいにちは更新されないけど更新されるときはドッと更新される。それが音楽ばかりじゃなくご自身の研究内容のことや趣味なども含まれててものすごく興味深い。さすが大学の先生なので専門に特化した部分はわたしにはむずかしいのだけど、でもすごくおもしろい。もっと知りたくなる。


で、現在、細馬さんがされている研究介護施設において高齢者・介護職員間で交わされる身体動作を用いた空間表現の研究」のくだりでこんなふうに書かれていてなんか目からウロコが落ちた。


 立ち上がること。坐ること。椅子をずらすこと。食べ始めること。食べ終わること。数を数えること。申し合わせ。テーマはいくつもある。そのいずれをも、高齢者の問題としてではなく、相互作用の問題として解くこと。平均値ではなく、個別のシークエンスに注意すること。
 高齢者は、やればできることを、しようとしないことがある。それを、高齢者の「やる気」や「心」の問題として解こうとすると、高齢者の内面を、こちらが勝手に解釈することになる。むしろ、どのようなやりとりのとき、それはできているのか。どのようなセッティングで、それはできているのかをよく見、よくきくこと。
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実際にご自身が高齢者とどのようにやりとりしているか、というのはそれ以前の日記に描かれていて、それ自体もとてもおもしろかったのだけど、こうして報告としてまとめられたものをみるとこれってほんとコミュニケーションの基礎だよなとか思う。なにか問題がおきたときそれを心の問題として誰かの気持ちを勝手に解釈するなんて驕り。岡崎京子が「誰かを救えると思うなんて驕り」てゆってたけど、どっちもそのとおりでどっちも自分の首を絞める、気が、する。あとわたしは小心者なのでネガティブな方向に誰かの気持ちを勝手に想像しちゃったりするけどそういうのからも解放されたほうがいいなとかおもった。